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K塾レポート : Documented by n.d.

先日TECHTILE展の論評をお送りいただいたDocumented by n.d.が、
4月のK塾においての黒川雅之さんとの対談についての
論評を送って下さいました。ここに掲載いたします。

Document #002

Re: NOSIGNER デザインの対話/対話のデザイン 2010/4/9 @K-Gallary

Text

開塾一年を経て二年目に入る第一回目のK塾は、近年、デザイナーとして注目すべき活動を展開しているNOSIGNERを招いてのセッションで始まった。

このデザイナーは、本名を用いず「NOSIGNER」と名乗っている。この表記は、けして奇をてらったものではなく、彼の仕事とデザイン論に密接に関わっている。なぜ「nosigner」なのか?というところから話は始まった。

「デザインとは何なのか?」... 時代を切り開くデザイナーは、制作を進めながら、常に自らに問いかけてきた。「デザイン」は形づくられたものであるという意味では、生み出されたものの「かたち」とは切り離せない。その意味で、デザイン=「かたち」のデザイン、という理解は一般的なものであり根強い。「NOSIGNER」の語幹にある「nosign」とは、〈「design」=「かたち」のデザイン〉という理解をいわば相対化するために、「no」=「~ではない」(否定)、「無」という接頭辞を「design」の「de」に置き換えて作った造語である。その名は、デザインの本質は、たんなる「かたち」づくりではなく別のところにあるという彼のデザイン論を映し出したネーミングである。それは、日常的には見えにくいデザインの部分に光をあてるための巧みなレトリックと言っていいのかもしれない。

デザインとは何なのか? この問いかけに対して、NOSIGNERは、「デザイン」を「対話」とのアナロジーで考えてはどうかと提案する。

「デザインとは対話である」

ここでの対話とは、人と物とのさまざまなレベルでのコミュニケーションのことである。nosignerは、「対話」を成り立たせる「話し手」、「聞き手」という要素を取り上げて、デザイン活動のあり方を分かりやすく説明した。いいデザインとは、いい話し手、いい聞き手の間のコミュニケーションを通して生まれてくる。さらに、「デザイン」が生まれるには、「コンセプト」が必要だが、それ以前にコンセプトが生まれ出てくる「背景」がさらに重要になってくるという。「コンセプト」だけではデザインは成り立たない。 NOSIGNERの言葉を引用すると

「背景がコンセプトを介してデザインになる」

背景についてのさまざまな角度、さまざまなレベルでの分析、調査、理解といった対話に基づいて、コンセプトが生まれ、それが現実にかたちとなってデザインされたものとして世に現れるのである。こうして新たにデザインされたものが生活のなかにインストールされて浸透していくと、新たな状況が生まれる(たとえば、Apple のiPhoneを思ってみよう)。その状況が日常となることによって、あらためて生活の背景となっていくと、さらに次のデザインが生まれる状況が生まれてくる。デザインを「対話」と捉えることによって、デザインは、「かたち」を超えた、いわば、多様なコミュニケーションの総体としての姿を現してくるのである。名は体を表すというが、NOSIGNERという名は、さまざまなレベルでのダイナミックな対話を介してあるかたちを導いていくことにデザイン活動の本質があるというメッセージが込められているのかもしれない。

ところで、このデザイン観は、たんなる理念にとどまらず、NOSIGNERのデザインの実践と表裏一体を成しているとところが、彼の発言を魅力的なものにしている。背景となるさまざまな状況に対して心を開き、耳を傾け、真剣にしかも和やかに対話しながら、デザイン的に解決すべき事象について徹底的に分析する。並外れた対話能力がこのデザイナーを独自な存在にしている。その背景分析と理解に基づいて、効果的、経済的、技術的、そして美学的に「もの」を生み出す方法を描いていく。それもできるだけ物事と自然の理に叶った、シンプルな方法を用いながら。

NOSIGNERの仕事をいくつか挙げてみよう...樹木の成長パターンという生命の論理を用いた構造の足を持つテーブル、パーフェクト・レクタングルという幾何学的な論理を用いた伝統工芸による宝石箱、構造力学の基本に基づくトラス構造を部材そのものに持たせることによって極端に薄い部材で形づくられた本箱、ハニカム構造で実現した高い強度を持った折りたたみ式の紙製の鍋敷き、x軸、y軸に引き出すことのできる空間を効率的に使うことのできるタンス(これらはその事例の一部にすぎない)... 21世紀の現在に生きる人間として、背景への対話を深く掘り下げるプロセスと普遍的なロジックによる解決を徹底することをとおして、こんな別のやり方もあるんだよ...と、モダンデザインを軽やかに超えていく道筋をあちこちで照らし出してくれている。

「対話」としての「デザイン」は、ともすれば「かたち」に傾きがちなデザインの志向をいったん括弧に入れることで、総合的なコミュニケーションの交点としてのデザインのあり方を浮き上がらせる点で一考に値する視点だと思われた。

ところで、もちろん、K塾は、ここで大団円を描いて調和的に終わることはない。
NOSIGNERの発表の後、K塾主宰者の黒川雅之氏が加わってNOSIGNERのデザイン論を巡ってトークが行われた。

黒川氏は、NOSIGNERの仕事の本質を理解し敬意をもっているという前提のうえで、「デザインは対話である」というNOSIGNERの命題は違うのではないかと切り込んだ。黒川氏の反論は多方向の視点からなされたが、そのうちのひとつの論点を一記録者の視点で整理しておきたい。

「対話」という概念は「話すこと」「聞くこと」という要素から説明されたが、それは、結局、「表現」として捉えることではないのか。たとえば、「話すこと」にはデザインを「表現すること」が対応し、「聞くこと」には「鑑賞すること」が対応するというかたちで。それらの「正しい」関係が優れたデザインだとしても、それは実際、「表現」としてどうなのか? いいデザインなのか?いや、美しいデザインなのか? 黒川氏は、デザインとアートの関係という根源的な問いかけから、「対話」と捉える視点を吟味する。「美」に関わるのがアートとしたら、そしてデザインが「美」に関わるとしたら、デザイナーは「プロフェッショナルという社会的立場からではなく」「人間であるというところから出発しなければならないだろう」(黒川氏)。「アーティストはひとりのいのちというところから仕事をしているからすばらしいことができる。そこまでデザイナーも降りてこなければならない」(黒川氏)。「ひとりの人間として生きていることから生まれてくる行動の軌跡までデザインをもってくる。そのときにデザインはアートと同じ次元で語りうる」(黒川氏)。デザインは、「表現」(対話)である前に探検である。人間として「探し続ける旅」(黒川氏)である。人間の"生"(記録者註:黒川氏のデザイン論の根底にある"死"をも視野に入れた上での"生"の全体の意味で使いたい)を起点としたデザイン、換言すれば "生のデザイン"(「死」をも視野に入れた)に立ち返ることで、デザインに、真の意味でアートとして語りうる次元が広がる。そこは近代主義がもたらした表層的な「表現」としてのデザインとは異なる次元のデザインのあり方である。

黒川氏の反論に対して、NOSIGNERは、「デザイン=対話」というアナロジーは、黒川氏が指摘する「探検」としてのデザインの本質を伝えきれていない部分があるかもしれないが、自分のデザイン論は、基本的には黒川氏のデザインのビジョンと重なり合うものだと思うと表明した。その表明の正しさは、NOSIGNERの仕事自体が物語っていると思われる。というのは、デザインの背景に対する真摯な探求の旅がなければ、NOSIGNERの仕事に見られる、美学的にも機能的にもクリアカットなデザインや斬新なアイデアは生まれなかったはずであるからである。

「デザインを実践すること」と「デザインを語ること」、その二つを巡って真剣に論じ合っていくことの重要性を実感したスリリングなイベントであった。

documented by n.d. 04/16/2010

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